ここ数年、発酵というキーワードと同時に、共話 = synlogue についてずっと考えています。わたしは2016年頃から能楽師の安田登さんのもとで、謡の稽古をつけていただいていますが、ある日、藤原定家を題材にした『定家』という曲を習っているときに、シテとワキがまるで連句のようにフレーズを紡ぎ合うパートが出てきて、これは共話と呼ぶことを教わりました。そこから日本語教育学の現場で水谷信子先生が共話という言葉を生み出し、多くの考察を書かれたことを知りました。日本語とフランス語、英語の話者として、あいづちを多用する日本語で共話が行いやすいことが直感的にわかりやすく、そしておもしろく感じたのです。ちょうど娘が日本語の保育園からフランス語の幼稚園にスイッチするタイミングで、主語を抜かせないフランス語では日本語的な共話がしづらそうに見えたことも、幼い頃のわたし自身の経験と照らし合わせて、腑に落ちるものがありました。
しかし、果たして共話は日本語固有の現象なのか? わたしは、使う言語によって思考の構造が異なってくるというサピア=ウォーフ仮説を支持していますが、同時に過度な特殊文化論も警戒しています。話法としては日本語の文化で共話が発現しやすいとしても、「共話的」な特徴は他の言語にもあるのではないか? そう考えながら文献を渉猟していたら、文化人類学者の川田順造先生が、西アフリカのモシ族と呼ばれる人々が夜に集まってお伽噺をする会を観察して、synlogueと形容したことを知りました。「一緒に」、「共に」、「同期的に」を意味する接頭辞synと「話す」を意味する接尾語logueからなるsynlogueという言葉は、日本語に直訳すればまさしく「共話」になります。そして、川田先生のsynlogueについても言及した、人類学者の木村大治先生が研究された「共在感覚」という概念もまた、水谷先生の説明された共話の効果につなげられることに気づきました。
ここまでの詳しい経緯は、新潮社のウェブサイトで2016年から2019年まで行っていた連載『未来を思い出すために』に書いた後に、単行本『未来をつくる言葉』(新潮社、2020年1月刊行)にまとめました。わたしが行ったことは、水谷先生や川田先生、そして木村先生たちが別々に研究された事象を接続して、現代におけるコミュニケーションの文脈で捉え直すということでした。
予想外だったのは、本が出てすぐのタイミングでCOVID-19パンデミックが到来し、リモートワーク生活に入って共話について人から聞かれることが増えたことでした。Zoomなどのビデオ会議システムでは、あいづちを相手の声に重ねることが困難であり、また互いのうなずきなどの体の仕草も共有しづらく、共話が困難になる。同時期に、様々な企業で働く人たちから、雑談の場がなくなり、互いを良く知らない人同士が仲良くなる機会が減っているという話をされることが頻繁にあったのです。そういう時に、共話の話をすると、「なるほど、共話ができないということなのか」と納得されることが多くありました。また、NTT docomoの研究部門の方たちにヒアリングを受けた際に共話の話をしたところ、その後共話をオンラインで実現するための音声通話システムを開発され、つい最近開催されたオープンハウスにも招いて体験させていただきました。
NTT docomo: オンラインで日本型の会話「共話」を実現する音声通話システムを開発 <2022年9月29日>
2019年には、東大の池上高志さん、同研究室の小島大樹さん、筑波大の岡瑞起さんと一緒にTypeTraceを用いた実験を行って、テクノロジーの影響によって互いの存在感の認知がどう変わるのかということを研究しました。TypeTraceはメディアアーティストの遠藤拓己さんと一緒に開発したアート作品でしたが、この時は研究のためのチャットシステムとして開発しました。タイピングの履歴が相手に見える特殊なチャットを作ったのですが、さらに入力中の文字もリアルタイムに見えてしまうバージョンもつくり、それぞれを用いた会話の比較をしました。すると、互いのタイピングの打鍵がリアルタイムに見えてしまうチャットが最も「盛り上がる」ということを定量分析によって示すことができました。この時の結論は、情報発信の同時並行性がある環境では、会話が双方向で活性化するという知見でした。
ところで、この論文では「共話」という概念は用いませんでした。その代わりに「社会的存在感」(social presence)という社会心理学の概念を使い、互いの存在をどれだけ知覚できるかということを調べたのです。というのも「共話」という概念はまだ英語圏では研究されておらず、日本語文献を引用しても英語話者のレビュアーに理解してもらうように説明するには紙幅が足りなかったからです。もうひとつ、上記の本で共話と一緒に言及した「共在感覚」(co-presence)についても英語で書きたかったのですが、これも文化人類学の文脈で木村大治先生が行われた研究をインタフェースデザインの文脈で説明することが難しかったからということもあります。
要は自分の力量不足だったのですが、現在、共話 = synlogueについて英語で解説し、その21世紀的な研究意義と可能性について論じるペーパーをCross LabsのOlaf Witkowskiさんと共執筆しています。Olafさんは池上研の出身者であり、人工生命(ALife)と人工知能(AI)の境界をまたいだ研究を展開しています。そしてわたし同様、フランス語話者であり、かつポーランド語、ベトナム語、英語などを駆使するポリグロットでもあり、別の研究について話していた時に共話の話をしたら、とても強い関心を示してくれました。
ALIFEの可能性に迫る | 対談書き起こし |岡瑞起×ドミニク・チェン(後編)
完成した時にプレプリントを掲載したいと思いますが、いま完成させるために様々な資料をまとめているところです(この記事は、そのために書きながら考えるために書いている研究ノートの側面もあります)
この論文で目指していることは次の通りです:
- 共話=synlogueという考え方をコミュニケーション研究全般に導入する
- これまで言語学の世界では共話および共話を成り立たせる相槌について研究がありましたが、より学際的に取り扱える一般的な共通概念として用いるようにしたい
- 文化差や様々な言語において、異なる共話の発現があるように、デジタルテクノロジーを用いたツールやシミュレーションにおいても共話的な現象をデザインしたり分析できるようにしたい
このことを考える上で、多大なヒントを与えてくれるのが、これまで、わたしの本の中でまとめた共話について、さまざまな研究領域で言及を頂いた事例があります:
- 災間を「共話」的に生きる(高森順子)
- 日本プライマリ・ケア連合学会誌 2020, vol 43, no. 1, p. 1
- 近藤 康久, オープンチームサイエンス, 学術の動向, 2021, 26 巻, 2 号, p. 2_102-2_107. https://doi.org/10.5363/tits.26.2_102
- 林 園子, 「共創」をリハビリテーションに活用する ー3Dプリンタを使ったインクルーシブメイカソンー, リハビリテーション・エンジニアリング, 2020, 35 巻, 2 号, p. 68-71. https://doi.org/10.24691/resja.35.2_68
- 原 祥子, 高齢者の“声”をきいていますか?, 老年看護学, 2020, 25 巻, 2 号, p. 5-8. https://doi.org/10.20696/jagn.25.2_5
- 黒沼 靖史, 学習を支える双方向コミュニケーションツールの機能についての考察, 画像電子学会年次大会予稿集, 2021, 49 巻, 2021 画像電子学会 第49回年次大会予稿集 https://doi.org/10.11371/aiieej.49.0_35
災害エスノグラフィ、オープンサイエンス、看護、リハビリ、老年ケア、学習におけるコミュニケーション、と領域は多様ですが、どの事例においてもコミュニケーションが切実な問題として捉えられているという共通点があります。
わたしは、大学に着任する前には自身の企業でオンラインコミュニティの設計者として仕事をしてきて、そこでインターネット上で人々が交わすコミュニケーションの光と闇を見つめてきました。特に2010年代に入り、スマホが普及してから時間が経つにつれて、SNS上の犯罪やいじめ、炎上といった事象が社会問題化し、監視資本主義やアテンション・エコノミー、そしてデジタルウェルビーイングの議論が活発になりました。90年代のインターネット黎明期に10代を過ごした人間として、インターネットが国境を超えて人々がわかりあえるツールになりえると信じていたのに、いつのまにか、ネット上はわかりあえなさが渦巻く場所に変化していきました。
それはテクノロジーの進歩が導いた必然的な帰結だったのでしょうか。小規模ながら、オンラインコミュニティの設計と運営に携わった経験からして、そうは思えません。シリコンバレーという特殊な土地で生まれた、普遍性を志向する技術が、ビジネス上の目的のために人々の注意を引きつけるために創意工夫を結集した結果であり、いわば壮大な設計ミスだったと思うのです。
わたしが最初に能楽の、そして日本語学の、次に文化人類学の共話=synlogue概念に強く惹かれたのは、デジタルコミュニケーションに別様のデザイン指針を与えてくれると感じたからです。それがなぜか、ということをこれからも論文等で言語化していくと思いますが、今、ごく個人的な理由を考えてみると、まずもってわたし自身が共話を必要としているからだと思います。アジア系という民族的マイノリティに属しながらフランス語圏、次いで英語圏で育ち、また、吃音という障碍を持つわたしにとって、自分と異なる相手とのコミュニケーションの成否はなによりも切実な問題だったのだと思います。そして、共話とはまずもって、ごくごく平易に言ってしまえば、「相手と親密な関係になる」ための技法だと思うのです。
メディア論の考え方で捉えれば、言語もまたコミュニケーションツールのひとつであり、そこでも「デザイン」という観点で議論する可能性があります。日本語を使う時には共話的な方法がありますが、フランス語や英語でも非言語のジェスチャーや敬意の示し方などの相手と親密になるための別の方法があります。このように考えた時、他のコミュニケーションツール―デジタルなものも含めて―にも共通する特性が見いだせるのではないか。そこに共話のエッセンスを一般化する契機があると考えています。
この後には、共話と対話の共通点をあらためて考え、そのハイブリッド形式について検討することや、synlogueとdialogueに加えてmonologueや、ベイトソンが実践したmetalogueと比較することなど、課題は山積みです。いずれにせよ、共話=synlogueの研究そのものを共話的 synlogicalに進めていきたいと思います。
参考記事
- 情報学者ドミニク・チェンさんが語る「共話」の幸福感 「分かり合えぬ」が開く希望
- INTERVIEW: ドミニク・チェン「ディープテックとは、他者との共在感覚を延伸する技法を編み出すこと」
- ドミニク チェン and 若林 恵「討議 コンヴィヴィアリティを促す「共話」の力」, 『現代思想』青土社. 2018-11. 46, 17. p.95-111 https://cir.nii.ac.jp/crid/1520010380921160192
- チェン ドミニク, 小島 大樹, 岡 瑞起, 池上 高志, 執筆記録情報を用いた行為主体性を持つコミュニケーション場のデザイン, 人工知能学会全国大会論文集, 2018, JSAI2018 巻, 第32回 (2018) https://doi.org/10.11517/pjsai.JSAI2018.0_2D2OS21a04
- 中動態・共話・ウェルビーイング──國分功一郎『中動態の世界』、安田登『能』ほか
- 特集:ナイチンゲールの越境 ──[情報] 対談:ドミニク・チェン × 孫大輔 ウェルビーイングを考える
- 伊藤亜紗インタビュー:ドミニク・チェンさん
- 日本の価値観をテクノロジーと接続。ドミニク・チェンの日本的ウェルビーイング実践(後編)