『僕たちは伝統とどう生きるか』小倉ヒラク著(講談社現代新書)
風土と人 「つくる」技の連鎖
「伝統」ほど手垢にまみれた言葉もないだろう。守るべき重荷のようにも、よそ者を退ける看板のようにも使われる。だが本書を読むと、その言葉の輪郭が見違えるほど鮮明になる。
これまで津々浦々の伝統的発酵文化を見聞してきた著者は、伝統を二つに分けてみせる。権威化され「正しさ」を競う「大文字の伝統」と、土地の風土に根ざして「つくり続ける」技の連鎖、すなわち「小文字の伝統」だ。前者がアプリケーションなら、後者はそれを静かに動かすOSにあたるという。
ジョージアのワイン、日本酒の麴、沖縄のやちむん、長良川の鵜飼。本書を通して著者が訪ね歩く現場では、担い手たちがそろって「つくるのは私ではない」と語る。植物、微生物、土、鳥といった他種たちの見えない働きに委ねている。その受け身の構えにこそ伝統の核心がある、と著者は主張する。しかし、それは人間が風土から疎外されているという意味ではない。日本酒の蔵では人の手がなければ発酵が起こらないのだ。風土と人とが溶け合うこの感覚を、著者は「〈手〉ロワール」と呼んでみせる。
哲学者ガダマーを補助線に、本書は鮮やかな逆説を差し出す。過去は正しく理解する対象ではない。それは「わからなさ」として現在に語りかけ、違和感を通じて新しい創造を生む。しかもその応答は、過去からではなく未来から返ってくるのだという。どういうことか。
著者は今ある形を固守するのではなく、未だ見ぬ姿を生み出すことに「伝統」の役割を再定義する。その言葉が説得的なのは、著者が多くの現場に足を運んだ経験に裏付けられているからだ。
評者が最も打たれたのは、伝統を排外主義への抵抗として描く姿勢だ。「すごい日本人論」に閉じこもるのではなく、伝統はむしろ、すぐ隣の誰かを信じるための足がかりになる。だから著者は呼びかける。「向かい合うな、となり合え」と。個々人の「好き」を深く突きつめた表現こそが、文化の壁を越えて遠くの誰かの心に根付くのだ。(1056円)
