『AIという名の鏡 機械思考の世界で人間らしさを見失わないために』シャノン・ヴァロー著(東京化学同人)
「考え、感じる」手放す危険
あなたにとってAIとはどんな存在だろうか? ただの作業用の道具か、もしくは友人か恋人だろうか? 徳倫理学者であるヴァローは、AIとは私たちの「過去から予測された軌道」を映し出す鏡にすぎないと説く。主要な大規模言語モデルは西洋の白人文化に偏った膨大なデータで訓練されており、そこに潜む 歪ゆが みごと、私たちの像を映し返す。
鏡が見せるのは表層だけだ。その像には「音も、匂いも、奥行きも、やわらかさも、恐れも、希望も、想像力もない」と著者は言う。AIは生きられた経験を原理的に持てない。だからこそAIの脅威は外からではなく内側からやってくる。完璧な助言や理想の対話に魅せられ、私たちが自ら考え、感じる過程を手放してしまうことこそが危険なのだ。判断や理由づけまで委ねれば、地図を捨ててGPSに頼るうちに道を探す力が衰えるように、世界や他者、そして自らに対する道徳的な判断力そのものが痩せ細る。しかし、私たちはなかなかその事に気づけない。歪んだ鏡に映った像を自分の姿だと誤解してしまうから。
私も同様の問題意識を痛感している。生成AIに文章を委ねるほど、出力に満足して自分の思考が 手懐てなず けられていく。大学では近年、学生のレポートの質が一見向上したかのように見られる。しかし、書き手の手触りが消え、当たり障りのない無個性な文章が増えた。AIが示す平均的な「望ましさ」に、思考が静かにならされていく様子が見て取れる。
ではどうすればよいのか。徳とは生まれつきの資質ではなく実践で鍛える「道徳的な知的筋肉」だと著者は語る。必要なのは、鏡に映らない人間の人間らしさを見失わないように、「それは生きている、共に考えている、感じていると言いたくなるようなシステム」だ、と。
それが具体的にどのようなものなのかは読者の想像力に委ねられている。鏡を 覗のぞ き込んで過去をなぞり固定化されることは避けたい。私たち自身が日々生きる経験の意味を 噛か み締め、よりよい状態へと変容することを助けるAIの姿を考えたい。西田洋平監訳、石垣賀子訳。(2420円)
