『ここでもなく、いまでもない』アンソニー・ダン/フィオナ・レイビー著(ビー・エヌ・エヌ)
想像世界へ引き込む試み
わたしは、著者たちの前著『スペキュラティヴ・デザイン』を十年前に読んだ時、問題を解決するのではなく問題を提起するデザインという思想に深く共感した。しかし同時に、現実がフィクションよりも奇妙なものになりつつある現代において、デザインをただ思弁のために用いることは「持てるもの」の特権なのではないかという疑いも拭えなかった。
本書はその疑いに正面から応えてくれる。著者たちが目指すのは「空想世界への永住」ではなく、「非現実の世界に寄り道し、新しい発見を持ち帰ってくること」だ。哲学者マイノングの対象論や量子力学の多世界解釈、文学における不可能世界といった多彩な知の道具を縦横に用いて、論理的にはありえない「不可能対象」をデザインとして形にすることで、わたしたちが自明とする現実の枠組みに揺さぶりをかける。
本書が強調するのは「想像力をそっと揺さぶり、見る者の関心を惹き、想像世界へと引き込むこと」の重要さだ。それはまさに文学や芸術が担ってきた働きであり、本書はデザインと科学の方法論をもまた文芸的な自由の探究へと接続しようとする野心的な試みだ。
本書で引かれる作家のル・グウィンの言葉が胸に響く。「逃げる方向は、自由に向かう方向だ」と。近代のデザインやエンジニアリングが解決するどころか原因にも加担してきた人新世の環境破壊、戦争、無責任な情報技術が招いた社会分断。これらの厄介な問題と向き合うためにこそ、現実に根を下ろしながらも「ここでもなく、いまでもない」場所と時間を想像する力が求められるのだ。
他者を顧みない指導者たちに生活を振り回される時代にあって、強すぎる現実の呪縛をゆるめようとすることは、かろうじて人間であり続けるための営みではないだろうか。本書はその可能性をデザインという実践の中に力強く灯している。デザイナーに限らず、厄介な問題群の当事者であるすべての現代人に薦めたい一冊である。久保田晃弘監修、千葉敏生訳。(4400円)